2006年2月3日金曜日

太鼓橋


ちょっとだけ蒸し暑い曇天の晩春の夕方
大きな公園の端にある、勾配を活かして作られた階段状のベンチに
2〜3人の仲間と座ってワインを開けてサンドウィッチを食べた。
食べ終わって立ち上がると、空になった容器やワインのビンなどが、
動く歩道に乗っているみたいに、ゆっくり下の方に移動していった。
その階段の表面は簾状になっていて、
座っている人達はそうはならないんだけど、
上に置いてあるモノは
「人の手を離れるとゆっくり移動していく仕組み」になっていた。

階段を下りたその先は幅の広い太鼓橋になっていた。
先ほどの簾はここにも ずっと続いて、いろんなモノがゆっくり移動していた。

その中になぜか短い文章を墨で書いた和紙も沢山あった。
それは置いてあるというより、張り付いていた。
歩きながら二つ三つ読んでみると、
いきなり涙が溢れそうになったけど、
一緒に歩いている人達にヘンに思われそうなので、我慢した。

‘それはそうなんだけどやっぱり……’

とか、

‘こんなに嬉しい気持ちになったのは、たぶん……’

とか
一見しただけではどうでもいい様な文章なんだけど
読むたびにその言葉にまつわる膨大な曖昧な記憶の塊がどうしようもなく浮き上がってきた。

その簾の上には自分の心の中にある個々の‘アイティム’が具現化して
流れていく仕組みらしかった。だからさっき食事した時の容器なども流れてくるし、
その時々に心に浮かんだ気持ちのキーになる言葉も具現化して流れてきていた。

太鼓橋の先は小さな池になっていて、
どんどんアイティムが流れ込んで行く。
そこで 簾から剥がれて浮かんでいるモノは記憶の外に、
沈んでいくモノは心の奥底に、
剥がれないモノはそのまま心の表面にくっついているモノらしかった。
さっき飲んだワイ ンのビンなどは浮かんだままぐるぐる回って何処かへ消えていった。

どんどん辺りが暗くなってくる中、僕はそこに浮かんで消えていく泡沫をしばらく眺 め続けた。
もう気持ちはすっかり落ち着いていた。