2006年11月3日金曜日

天上の四季


立正佼成会という宗教団体の総本山に今年開館した開祖記念館
私が全体の音楽を担当しています。
(今年は開祖生誕100年だそうで、いろんな記念行事が行われているそう)
写真は・・・
開祖さんの生まれ故郷の四季のイメージプロジェクション映像に私のピアノ即興が流れている・・という展示。

尊敬する松岡正剛さん総合監修の元に緻密に構成された、
なかなか重厚な心地良い空間。

車は駐め放題&別に一切勧誘もされないので、
お近くにお寄りの際は一度どうぞ(杉並、環七沿いの巨大な建物群

2006年9月18日月曜日

井の頭線


ちょっと山奥の、おそらく元々何も無かった山林を
テキトーに切り開いて無理矢理作った観光施設に行く。
ありがちな巨大ログハウスふうの造りだ。
道を渡った向かい側に「無料露天風呂のある施設も併設」
というコトらしいので行ってみるコトにした。

前の道のカーブがちょっとブラインド気味なのにミラーがないのでちょっと危険だ。
慣れない観光客が、フラフラ横断するというのに。
傍若無人な大きなダンプカーがたまに通るのだ。結構なスピードで。
でもそういうコトは全く気が回らない
そんな荒っぽい、ザックリした雰囲気が全体的に漂う土地柄だ。

道を渡って…温泉施設までは、演出なのか怠慢なのか、道らしい道は整備されていない。
やたら伸びた芝生の上を裸足で歩く。
しばらく行くと突然、一面黒い碁石くらいの大きさの玉砂利が敷き詰められて、水が流れている場所に出くわした。
裸足で歩くとなんとも気持ちいい。
連れに勧めると、スニーカーのまま入ってくる。
ダメだよ。脱がなきゃ

入ってみると地元の老人達が集う保養施設のような趣。
もう入り口でお金を払うような雰囲気。
まずお金を払って入ったその奥に、小さい無料露天風呂がある、ということらしい。
なんだそれ!?ほとんど詐欺
(笑、ホントはお風呂に入るのにさらにお金が要るんだけど、それが無料…という説明)

やけにつるっとした、ストッキングを被ったような顔の男がはいってきた。
どうでもいいコトを抑制の利かない割れたしわがれ声で、しゃべり続けている。
観ているうちにどんどん表情がかわる。顔の筋肉が特殊らしい。
その男に惹かれてなのか、どんどん地元の人達も集まってくる。
彼らは何か優待パスみたいなモノを持っているんだろう。気軽にドンドン入ってくる。
ますます地元民のサロン状態が高まってきたので、帰るコトにした。

帰りはちょっと険しいトレッキングコース
苔むした、岩が崩れそうな道。
そんなトコロを杖をついた盲人の人も登ってくる。
降りたトコロにはちょっと大きな駅があった。
ちょうど電車が来ている。

井の頭線だ。乗り換えが面倒だけど、これにのって帰ろう。

走り出してしばらくすると、すごいカーブを曲がる。直角だ。
ゆっくり走っているのに、つり革に掴まっていないと立っていられない位。
風景も大きく動く…さすが住宅街を走っているだけあるな。
というか…なんか道の上っぽい…道の上だ。

そのうち、人がドンドン降りていった。見ると床に座布団があったので、それをひいて座った。
床は木製だ。窓からは秋の夕暮れの風が入ってきて、気持ちいい。
車内にはとくに照明はなく、薄暗くなってきた。

見渡すと、ちょっと離れたトコロにAsei君が座っている。
一人で楽しんでいるふうなので、そっとしておいた。

吉祥寺が近づいてきた。
駅前通りの空がぼんやりした紫色に染まって綺麗。
Asei君が、声をかけてきた。彼の親しげな声。
いつのまにか、前方のガラスが全部降りている。
二人並んで座って、夕暮れの中を進む、バス(いつのまにかバスになっていた)の前面に広がる景色をながめた。

もう乗り換えのコトはどうでもよくなっていた。

2006年2月3日金曜日

太鼓橋


ちょっとだけ蒸し暑い曇天の晩春の夕方
大きな公園の端にある、勾配を活かして作られた階段状のベンチに
2〜3人の仲間と座ってワインを開けてサンドウィッチを食べた。
食べ終わって立ち上がると、空になった容器やワインのビンなどが、
動く歩道に乗っているみたいに、ゆっくり下の方に移動していった。
その階段の表面は簾状になっていて、
座っている人達はそうはならないんだけど、
上に置いてあるモノは
「人の手を離れるとゆっくり移動していく仕組み」になっていた。

階段を下りたその先は幅の広い太鼓橋になっていた。
先ほどの簾はここにも ずっと続いて、いろんなモノがゆっくり移動していた。

その中になぜか短い文章を墨で書いた和紙も沢山あった。
それは置いてあるというより、張り付いていた。
歩きながら二つ三つ読んでみると、
いきなり涙が溢れそうになったけど、
一緒に歩いている人達にヘンに思われそうなので、我慢した。

‘それはそうなんだけどやっぱり……’

とか、

‘こんなに嬉しい気持ちになったのは、たぶん……’

とか
一見しただけではどうでもいい様な文章なんだけど
読むたびにその言葉にまつわる膨大な曖昧な記憶の塊がどうしようもなく浮き上がってきた。

その簾の上には自分の心の中にある個々の‘アイティム’が具現化して
流れていく仕組みらしかった。だからさっき食事した時の容器なども流れてくるし、
その時々に心に浮かんだ気持ちのキーになる言葉も具現化して流れてきていた。

太鼓橋の先は小さな池になっていて、
どんどんアイティムが流れ込んで行く。
そこで 簾から剥がれて浮かんでいるモノは記憶の外に、
沈んでいくモノは心の奥底に、
剥がれないモノはそのまま心の表面にくっついているモノらしかった。
さっき飲んだワイ ンのビンなどは浮かんだままぐるぐる回って何処かへ消えていった。

どんどん辺りが暗くなってくる中、僕はそこに浮かんで消えていく泡沫をしばらく眺 め続けた。
もう気持ちはすっかり落ち着いていた。

2006年1月4日水曜日

白洲正子さんから新年のご挨拶



年の瀬にアップルストアで購入したMac G5が12月30日に届いた。
4日にオタク風味の友人が来て新旧載せ替え作業をするコトになっているので
「なんとなくガイドブックでも読んでおこう・・・」
とアマゾンで良さそうな本を選んだら、送料無料になる1500円までちょっと足りない。
ちょっと考えて・・・内田百間の「御馳走帳」を選んでカートに入れてみると
すでに白洲正子さんの「夕顔」が入っていた。
全然入れた記憶がない。

「この前友人に白洲正子を勧めたついでにカートに入れたのかな…せっかくだからコッチでいいか」
年末に注文したら元旦に届いたので(さすがアマゾン年中無休だ…)
ガイドブックはトイレに(こういう本はトイレだ)夕顔はベッドサイドに置いて寝る前に読むコトにした。

そうして新年2日の深夜、ほろ酔いで本を開いてみると
冒頭に
「新年おめでとうございます」
と書いてあった。ホントに冒頭に書いてあった。
「そういうコト」は沢山起きる方なのでこの時も「なるほど・・」と思った位だったけど
確率からいうと、とってもとっても低い現象だよね。
(※新年に連載を開始したエッセー集だった)

敬愛する白洲正子さんに思いがけず新年のご挨拶を頂いた、コトは間違いない!?